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ひとりしずかに夏の夜。

青春五月党 「ある晴れた日に」11/1 小高公演

さて、今回が「ある晴れた日に」の初観劇でした。
柳美里先生曰く「時間」のお話ということですが、私には交錯する人の時間が見えたような気がしました。

以下、ネタバレ含みの感想など。
小高公演が終わりましたので、小高版のラストにも少し触れています。読まれる際はご留意ください。


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# by pell-natsuya | 2019-11-04 02:16 | 演劇

青春五月党「静物画」 3/17(日)公演 千穐楽

上演に携わった皆様、本当にお疲れ様でした。
最高の舞台をありがとうございます。
福島の小高で以前観させていただいた時とは違い、
少し馴染んだ感覚があって、これはこれで面白い構成でした。
前回は女子版の皆様だけでしたが、今回は男子版の皆様も観ることができて、
違いを愉しめてなお面白かったです。


それでは、以前のことも思い出しながら感想など。
内容等々について、以前と重なる部分は省略します。

ところどころのセリフや動き方が代わっていたり、
でもキーになる部分はそのまま。
「町の形見」を出版された当初に購入して
「静物画」の男子版・女子版と読みましたが
実際に観てみるのとはやはり違う。

演じる彼らが等身大に生きている。彼らがその場所にいる。
脚本が、演出が、舞台が彼らを引き立て、生きる世界を創り上げている。
まさに舞台は生き物という言葉通り。
小高で男子版が観られなかったのが悔やまれます。

予定の都合で1日で両方ということになってしまったけれど、
できれば日をずらしてゆっくりと噛みしめたい内容でした。
脚本があって、演出があって、人が重なる。それを観る人々がある。
観終わった後に、自分の感情の行方がわからなくなる。

かつて私が見てきた、あの日の風景。
自分が歩いた、海辺の町。国道の景色。
彼らの言葉に、すべてが重なっていく。
それら全てを通して見た後に残る、不思議な感覚。

改めて観直せてよかった。
8年たった今年、もう一度観ることができてよかった。
今日は、そんな舞台でした。

その機会を創り上げてくれた皆様に、最大の感謝を。


ここからは、今回の舞台を改めて観直して一つだけ浮かんだ謎の考え。
実は「亡くなった」のは「はる」ではなく
「みんな」の側じゃないかな、ということ。

はるが聞いていたバイオリンの音。他の子たちは聞こえてない描写になっている。
しかし、我々観客には聞こえている。
転じて、はるの立ち位置はどちらかというと「こちら側」
途中の除染作業の白服の人たちのこと、あれも見えているのは、はる一人。
現実側にいる観客と同じ目線にあるはるは、つまり私たちと同じ。
それら一切が見えていない他の子たちは、既に「向こう側」の存在。
最後にはるが一人消えるのは、何らかの理由で「こちら側」に帰ってきたから。

たった一人の不在によって、世界は充たされる。
つまり、イレギュラーの存在だったはるがいなくなることで、
「向こう側」の世界が完成する。
はるは何らかの理由で「向こう側」に迷い込んだ存在だった。

とまぁ、妙な方向に思考が転がっていきました。
実際の所どうなんでしょう。あくまで私の戯言です。


今回は短いですがここまでで。
繰り返し見ても、身体が震える感覚は健在でした。
重ねてになりますが、珠玉の舞台に出逢えたことに感謝を。

皆様、東京公演本当にお疲れ様です。
素晴らしい時間を、ありがとうございました。

# by pell-natsuya | 2019-03-17 21:34 | 演劇

ことのはbox 第8回公演 「想稿 銀河鉄道の夜」 10/14公演 千穐楽

ことのはboxの皆様、上演に携わった皆様、本当にお疲れ様でした。
千穐楽公園、最後に愉しませていただきました。

10/10の初日に観た時に、もう一度観たい!と決めてよかった。
舞台は生物である、ということを改めて実感する内容でもありました。

演出や動きが、少しずつ変わっていた(ような気がする
当たり前だけど、舞台の上演は本当に手探りで進めていく作業だと私は思っています。
極端なことを言えば朝令暮改は当たり前、最善の形を常に模索していくのが舞台の世界。

最終日ということで役者さんたちの動きがスムーズになっていたのもあるかもしれませんが
初日の時のような手探りの緊張ではなく、波を作って流れを生む緊張に変わっていたと思いました。
客席をうまく乗せていく効果や動きだったり、違和感のある立ち位置が少しずつ改善されていたり。
全体的に(少しずつでも)余裕ができれば、演技にもゆとりができて浮いた部分に色が乗りやすくなる。
台本や演出・舞台装置という決まった流れと色に加わる、「人として」の役者さんの色が乗るアンサンブル。
舞台が生物であるという所以でもあり、同じ舞台が二度と観られないという理由でもある。

本当は全通しで観たかったなぁ。そんな高等遊民的楽しみを夢想する私。

今回は私も2回目ということで、役者さん一人一人をゆっくりと観る余裕ができました。
皆様書いていくと色々アレなので割愛。
でも皆様の色・個性が乗っていた素敵な舞台でした。

この役者さんたちの別の舞台も観てみたい。
シナリオが変われば当然演技も変わるわけだけど、色が乗った演技がどのように見えるのか。

あとは、カムパネルラの最後の長台詞。
初期形であるブルカニロ博士の台詞が元になっているジョバンニへのメッセージだけれど
語り手を変えるだけで受ける印象がここまで変わるとは思わなかったです。

原作だと博士からジョバンニへのメッセージというか教示になっているけれど
ここではそれをカムパネルラに語らせることで親友からのメッセージ(明示はしてないけど遺言)になる。
そして「ほんとうのこと」を探す。カムパネルラは第四時(四次)に旅立ち、ジョバンニはそれを見送りいつかたどり着く場所になる。

この舞台ではあくまで「旅立った」であり、実は「死んだ」とは明言してないんですよね。最後も「行っておいで」と見送っている。
本人に「なぜ人は死んでしまうんだろう」とは言わせてますが。
私たち観る側の想像に委ねられる部分が多くあり、それが私たちへのメッセージでもある。
観客が幻想第四次の銀河鉄道の旅から、戻ってくるための最後の仕掛けでもある。

うん、思い返したら色々涙が出てきました。


本当に演出等々含めて素敵な舞台でした。またこの舞台の再演があったら是非足を運びたい。
昔みたいに自分が立つのはさすがに考えられないかなぁ。演出というか裏方で色々考えてみたいとは思うけれど。

上演に携わった皆様、改めて素敵な舞台をありがとうございます。
本当にお疲れ様でした!


# by pell-natsuya | 2018-10-14 17:28 | 演劇

ことのはbox 第8回公演 「想稿 銀河鉄道の夜」 10/10公演

今回は、今書いているものの資料を探している過程で偶然見つけました。
様々な形で舞台や映像になっているのは知っていたのですが、ここで生で観られる機会が巡ってくるとは思っておりませんで。
何かのご縁というかお導きというか切っ掛けというか。

ともあれ、出演者の皆様、上演に携わった皆様、本当にお疲れさまでした。
良い舞台をありがとうございます。

今日から14日までの日程なので、もう一回行くつもり。
というかせっかく教えていただいたので千穐楽は行きます。
早めに行って当日券押さえないと。


それでは以下私見が大いに混じったコメントなど。
できるだけ纏めますが、基本的に思いついたままに流します。そしてネタバレ混じります(たぶん
以上ご留意ください。





まずもって、最初から宮澤先生が出てきたのはちょっと驚いた。
カムパネルラとの会話で「ほんとうのこと」と出ていたけれど
(おそらく観に来ている人の中にはいないと思うが)
元の作品の内容を知らない人には置いてけぼりだろうなと思った。
でもそれが後々までのカギになるから、引き込むにはいいセリフだったと思う。

そして全体通してジョバンニさんがとてもアクティブ。
違和感がないといえば嘘になるけれど、このシナリオの流れだとこれだけ動いてくれないと逆に違和感がある。
大体において、カムパネルラに意味深な台詞が多いので、ジョバンニの役回りがそこをうまく拾ってくれていた。

途中に出てくる人物たちがまた濃いこと。
原作通りではなく他作品から出張してきた方々や、他作品の台詞が入っているのが
宮澤賢治の作品が好きな私としてはちょっと嬉しかった。
余談だけど、尼僧の方がメインのシーンで、某映画のシスターを思い浮かべたのは私だけだろうか。

話の進行としては原作と違って汽車に乗る前の話。
天気輪の柱の場所=銀河ステーションで、そこで人々と出会い、話が進んでいく形だったのがまた面白かった。
車掌さん、実際に立たせてみると結構いい役回りだったと思う。
文字で読むだけよりも、イメージがはっきり目で見えるのが舞台の面白いところであるけど
私的には三途の川渡しのような役目だと思っていたから、これは目から鱗だった。
汽車の時刻が「第三時」と「第四時」って言ってたけど、あれは原作通りでもあるけどきっとわざとなんだろうなぁと思う。
カムパネルラだけが後者だったのは、最後のあのシーンのためでもあると思った。

教室のシーンと子どもたち。
先述のとおりジョバンニが積極的に動くので、クラスメイトとの関わりがイメージと違っていて面白かった。
そしてザネリ。この方すごい。なにが凄いって、後から出てくる家庭教師役の青年の時との二面性。
シナリオの中で青年がザネリの台詞を演じる部分もあるけれど、区分けと曖昧さの綱渡りが。

部分部分での動きや小道具が、シナリオの流れを暗示する伏線として綺麗だった。
たとえば、星座早見表の存在、カムパネルラの髪、そしてジョバンニの切符。
ジョバンニの切符の解釈は面白かった。それを最後に車掌さんが断るところまで観て、もう言葉もない。

ラストシーン手前の、先生とジョバンニの会話。
最初のシーンである先生とカムパネルラの会話をなぞるようなやりとり。
ここで第三次初期形の台詞を聴けたのが、私的にはなによりも嬉しかった。
ブルカニロ博士はちゃんと生きていてくれているんだと勝手に思っている。


さて、コメントが支離滅裂な流れではあるけれど
総じて観ているこちら側も、彼らと一緒に幻想第四次の銀河鉄道の旅をしている、良い舞台でした。
私の中では原作のイメージが強く、また1回目で読み切れなかったせいで進行と台詞に違和感を感じる部分もありましたが、
それでも「銀河鉄道の夜」を目に見える形で愉しむという意味では、これが一つの形だなぁと思います。

ちょっと妙な言い方をするなら、元の原稿にある空白だったり抜け落ちている部分を補完して再構成したら、きっとこうなるという一つの形。
ほんとうのさいわいとは。ほんとうのことは。きっと観た人の心の中にある。
たった一人のほんとうの神様が、わたしたち一人一人に指し示す「ほんとうのこと」であるように。


# by pell-natsuya | 2018-10-10 23:34 | 演劇

「若おかみは小学生!」

私の周囲があまりに賑やかだったので、どんなものかなぁーと軽い気持ちで観に行きました。
うん、後悔した。色々と。

映画館でボロボロと泣いてました。勿論一人で。
人がほとんどいない平日でよかった……大の大人が映画見てひとりで泣いてるんですよ。
子連れも2組ほどいたから、最後まで顔伏せてましたよ、ええ。
帰りの電車ではマスクで顔隠してました。

観方はいろいろだしご意見も諸々だと思う。
ツッコミどころも確かにたくさんある。
けれど最後はすっきりしていた。ちゃんと王道らしくまとまっていた。

親子で観るもよし、一人で観に行くもよし。
色々な意味で、色々な形で、鑑賞に堪える作品でした。
未見の方はぜひ騙されたと思って行ってみてほしい。いやほんとに。


それでは以下、あらすじと感想など。
ネタバレしないように気を付けますが、気になる人はまわれ右推奨。


あらすじは本当に王道だなぁと思った。
主人公の女の子(織子;おっこ)は、事故で両親をなくして旅館を経営する祖母に預けられる。
そこで男の子(今回は幽霊)のウリ坊と出会い、紆余曲折ありながら旅館の若女将を目指す。
ざっくりとすっ飛ばして言うなら、おっこが一人前の若女将へと成長する物語の一部分。そんな話。

ここまでで、私は「ユタとふしぎな仲間たち(三浦哲郎)」を思い出した。
あれは都会から家庭の事情で転校してきた少年ユタが、祖父の家の座敷童と出会い、色々経験を積み成長していく物語(ざっくり)。
最初の事故のときにウリ坊がこっそり出てきて、そのあとにおっこが春の屋へと初めて足を踏み入れた時に聞こえた声、
その直後のウリ坊との会話から私はそんなイメージを最初に作ってしまった。

まぁ大体はその通りというか、後から美陽や鈴鬼が出てきたり、真月とのやりとりを見ててもそんな感じ。
おっこが若女将になると宣言する(ように見えた)シーンとか、その周囲の動き、その後の会話なんかを見てると
ちょっと小学生らしからぬ動かし方だなぁとは思ったけれど、
そこは幽霊や小鬼の子たちがちゃんと(観る側を)フォローするような役回しになっていて。

あとは水領さんの役が良かった。
彼女のおかげで、おっこがまだ一人の小学生の女の子だということを、ちゃんと示してくれていた。
如何せん優しすぎるかとも思うけれど、全体のシナリオを見返しても彼女がいないと成り立たない。
おっこが友人として、あるいは姉として、(仮でも)家族のように信頼し甘えられる存在。
ちゃんとそれが最後まで役に立っている。ただの1キャストとして終わっていない。

その他お客さんとのやりとりを見てても、若女将らしくもあり、またおっこが(女将として)成長途中の子どもである、というのが
ちゃんと無理なく組み込まれていて良きかな。年相応に顔色変えたり笑ったり怒ったり泣いたり。

本編では最後のお客様であるあの家族。
私的には(真月とのやりとり含めて)ここでそれを持ってきたか、という感じだったけれど、
最終的にはあれで(まだ蒼いけれど)一人前の若女将になれたんじゃないかな、とも。
水領さん、いい仕事してくれた。

「子どもが子どもであることを奪われることほど、悲しく虚しいことはない」とは誰の言だったかね。
タイトルから実はそれを一番心配していたけれど、それもなくて安心した。

最終的に(予測通りというか)幽霊二人と小鬼はおっこからは見えなくなり、それが彼女の成長でもある。
このあたり「夢から醒めた夢(赤川次郎)」をちょっと思い出してた。

最後の神楽、あれ4人で舞ってたのは実はあれがもともと一つの形なんじゃないかな。

さて、思いつくままに追いかけて書いたけれど、
総評としては王道の成長物語ではあるけれど、途中の要素も含めて良い映画だったと思います。
最初にも書きましたが、私はラストシーンからエンドロールまでずっと泣きっぱなしでした。
ちょうど一年前に観た「きみの声をとどけたい」も同じだった。

もしまだ観に行ける機会があるなら、ぜひ一度は観てみてほしい映画です。
私はもう一回どこかで観に行く。間違いなく。


# by pell-natsuya | 2018-10-03 19:14 | 本・映画



広く浅い文科系趣味を持つ私の気が向いたように書かれていく日記らしいもの。好きなことは、読む・書く・旅と演劇。

by 夏夜
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